松花堂昭乗

佐藤虎雄/河原書店/1938年。

松花堂昭乗の伝記。

昭乗の父母の名は家譜にも記されず、全く不明である。
(略)
世に昭乗は豊臣秀次落胤といふ説が傳へられてゐる。
之れは頗る興味のある説であるが確實なる資料がない。
若し事實だとすれば昭乗は秀次十五才の時に生まれた事になつて不合理である。

昭乗の出自が不明であったことも、秀次落胤説があったのおもはじめて知った。
でも15歳で子供こさえたのが15でも問題ないんじゃないかいな。
吸江齋が以心齋こさえたの12歳だし。

とにかく昭乗は八幡に上つてから、幕府より昭乗は何人の子にして、何れより入寺したかを取調べられた。
之に對して師の實乗は答へて昭乗は九歳にして拾い子したのであるから生所、父母の名さへ知らないと云つた。

師匠は9歳の少年を拾ったと言った。
でも9歳の少年なら、父母の名前は知っていそうだ。

昭乗は幼名を辰之助と稱したが後に式部と云ひ、文禄年間少年にして上洛し近衛信尹に仕へた。

しかも出家前、近衛信尹に近侍していた。

實乗の言と矛盾するのはちょっと怪しい感じである。