松花堂昭乗5

昭乗の、そして光悦の書の師匠に関しては「本阿弥行状記」に記載があるとのこと。

『本阿彌行状記』によると當時の三蹟の美しい話が載つてゐる。
即ち青蓮院門跡は近衛信尋本阿弥光悦及び昭乗の三弟子が書道の傳を請ひ願つた時に、今日書傳殘らず濟んだ上は三人共に自分の流儀を立てゝよい、其のわけは菊の種を蒔いて實植に甚だ面白い花も咲くやうに各々一流儀を立てるやうに今日書道の傳授をしたので之れで本望を達した、と仰せられた。
そこで三人は各々一流を立てゝも毛頭師の命に違背する流儀を立てる樣な事はしないと云ひ、門跡の思召の寛大なのに感心したといふ。
實に此の師あつて此の弟子ありといふ感がする。

なんで寛永の三筆の信尹でなく、信尋なんだろう。
あと、信尋はなんで信尹に学ばなかったんだろう?

信尋は1599生まれ。光悦は1558生まれ。昭乗は1582生まれ。

この世代が一斉に門跡に秘伝を学んだとしたら、光悦は結構な老境に至るまで秘奧に接しなかったことになる。
いくらなんでもこれはないのではなかろうか?


でもついつい後廻しにしている「本阿弥行状記」。読んどかないとだなぁ