松花堂昭乗6

昭乗が江戸で将軍師範になる、選定のエピソード。

嘗て近衛信尋が東山銀閣寺に在つた時、幕府より将軍家光の書道の師の選定方を頼まれた。折しも本阿彌光悦が伺候してゐたので、信尋は今日本で書道を能くするのは誰であるかと問ふた。
光悦先づと一指を折り、次に八幡の坊主、三番は殿下なりと言上した。
信尋が先づとは誰ぞと訊ねると、光悦拙者であると答へ、また八幡の坊主はとは訊ねると、八幡雄徳山瀧本坊の昭乗
であると述べた。
信尋は光悦を案内として自ら瀧本坊に行き、昭乗に一書を求めたが辭して筆を執らなかつた。
光悦は一案を考へ隣の萩坊乗圓に依頼し、茶席に釜をかけさせておいて、一同を伴ひ來り、此の茶席に入る者は床柱に連歌しなければならないと云つた。
そこで先づ信尋が筆をとり遂に昭乗も書いた。
之れを萩坊の三筆の席と云つて有名であつたが、明治維新の際に燒き拂はれてしまつた。

面白いは面白いんだけどさ。あまりに突っ込みどころ満載である。

昭乗は近衛家に先代から出入りしていて昵懇であろうし、どんな筆跡なのか世に知られていない/流通していない名人は在り得ないし、床柱に書いたんじゃ江戸幕府に対するエビデンスにならんじゃないか。