松花堂昭乗13

昭乗の作庭。

桃山時代・江戸時代初期は茶道の發達につれて庭園も多く營まれ、特に茶庭が出來
た。
小堀遠州は従來の林泉式庭園に茶の要素を加味したのである。
爾來遠州流の庭園は廣く江戸時代を通じて數寄者に迎へられた。
昭乗は遠州に相談して庭園を作つた。

昭乗も遠州風の作庭をしていた、という。

田邊町大字薪なる酬恩庵の庭園は寺傳によれば、
佐川田昌俊・石川丈山と昭乗との合作なりと云はれている。

酬恩庵はいわゆる一休寺である。

http://www.ikkyuji.org/precincts/

確かにWEBサイトにもそう書いてあるな…。

でもどういう理由と経緯で真言宗の昭乗が臨済宗酬恩庵の庭を作ることになったのだろう?

あと、「寺伝によると」という事は、佐川田昌俊の「松花堂上人行状記」にこの件に関する記載がないという事だろう。佐川田昌俊はこの業績をどうして記録しなかったんだろう。