君台觀左右帳記研究2

さて、絵画リストとしての君台観左右帳記の読み方であるが:

北宋末の徽宗帝は、宣和畫譜を勅撰して名畫を千載に傳へられたるが、而も特に其優劣を明かにせなかつた。
之れ畫譜に列記したる繪畫は、凡て名畫として其間甲乙の鑑別を許さなかつたからであらうと思ふ。
又張遠彦の歴代名畫記の如きも、敢て甲乙の批評を避けて唯だ名畫として千載に傳ふ可きものを列記したのである。
(略)
更らに東坡集や米氏畫史やトウ椿の宋朝名畫評や諸氏の随筆類に至つては、夫れ/\古今繪畫の優劣を批判して後世人を指導して居る。

過去の絵画の記録は所蔵リスト内に優劣のあるものもないものもあった。

まぁ宣和畫譜は勅撰どうこう以前に20巻もあるので優劣が付けがたいということもあったんじゃなかろうか?

是等諸家の批判たるや、繪畫を分つて神品逸品能品妙品精品の五種と為し、以て其優劣を示して居る。

順はともかく、五段階評価がよくあるものだったらしい。

東山義政の繪畫に關する批判は、神逸妙能精の区別を採れるも假りに、上中下の三篇を以て其畫家を列記して居る。
則ち君臺觀左右帳記は、上繪五十中繪三十六下繪六十六を列記して居る。

上中下のリスト内容を見ると確かにその可能性は否めないが…。

でも義政の気に入ったリストってのは如何なものか?「あまりお気に召さなかった」のを残してもしかたないじゃん。

むしろ同朋衆が所蔵財産を目録化し、財産価値順とかで作ったものと思った方が普通な気がする。