君台觀左右帳記研究5

王摩詰に次いで徽宗皇帝が置かれて居る。
北宋末の徽宗帝と言へば、帝王畫家として世界的名聲を揚げたる大家である。
所謂殿様藝にあらずして専門的藝術で而も其花鳥畫の如き實に古今の妙手であつた。

「殿様芸」というものの感覚がまだ残っていた時代とも言える。
そう言えば細川さんは「殿様芸」に該当するんだろうか?

東山義政と徽宗帝とは或る共通の環境と性情を同ふしたのであつた。
動亂に次ぐに動亂を以てしたる時勢を同ふし、而も動亂を前にしながら悠々書畫類を樂しめるが如き實に兩者に共通したる生活振りであつた。

ただ、動乱の五代十国北宋に生まれ、水滸伝的なエンディングを迎えた徽宗と、自分のだらしなさで戦乱を開始してしまった義政を同類にするのは徽宗に悪いと思う。

我邦に於ける所謂徽宗帝の繪畫なるものは、實に数百點の多きを見るのであるが、無論殆んど贋作偽物のみと言ふも不可ない位ゐである。
京都金地院所蔵の秋冬山水畫の如きは古來徽宗帝の眞筆として傳へられつゝあつた。
然るに近年に至り種々研究の結果徽宗にあらずして元時代の山水畫なりと鑑定さるゝに至つた。

http://www.kyohaku.go.jp/jp/syuzou/meihin/chuugoku/item09.html

これか。

にしてもこの著者、真贋に関し辛辣である。

それもそうか。それほどの名物が後世に伝世しないということは、真筆でなかった証拠と考えられなくもない。
現在伝わっている伝・徽宗のどれかが実は東山御物だとしても、「どれも真筆でない」という判断をしたとしたら、結局東山御物徽宗の真筆無しと判断したのと同じだもんな。