君台觀左右帳記研究6


李龍眠、李成、郭煕、徐煕、趙昌、易元吉、趙大年、成宗道、陳所翁と、画家の解説は続くが、割愛。

んで牧渓。

僧牧渓の繪畫は其生前に於て到底我邦へ傳來したりとは考察することが出來ない。
何んとなれば彼の時代は蒙古と我邦の交戰前後なりしを以て全然國交を見なかつたからである。
(略)
要するに牧渓和尚の繪畫は東山義政公に依りて始めて我邦へ傳へられ、而も其名聲を揚ぐるに至つたのであらうと思ふ。

牧渓は同時代的には日本には来ていなくて、おそらく室町に招来した。
たぶん、あまり武張らなくなった足利の世の中にマッチしていたんだろう。

東山御物の名を以て傳へられたる牧渓畫は現在の我邦に於て十數點に上つて居る。
而も是等の牧渓畫は果して義政公の愛玩品なりしや否や頗る疑問である。
否な牧渓畫としても其眞偽を疑問とせざるを得ないもののみである。

あんだけ沢山ある伝・牧渓でも駄目か…。

本当に現在まで伝世している東山御物ってあるんかいな…?