茶道具の用と美4

林屋 そうです。そういった意味で、焼物の研究というものは、窯跡の物原の発掘調査を踏まえないと本当のことは絶対言えないな。
小田 まだ私が非常にひっかかっているのは、
朝倉屋敷の跡から魚屋や蕎麦が出てきたとおっしゃっているんですが、どもそこのとことがまだ私にはのみ込めていないのですがね。
林屋 魚屋風のものですよね。
小田 でしょうね。
林屋 本当に伝世のすばらしい魚屋と比べるとどうかと思うけれども。しかし、朝倉屋敷は天正元年滅亡ですから、その焼土層から、おっしゃるように高麗茶碗が出ていることは確かで、その中に魚屋的なものがある。

朝倉は織田に滅ぼされたが、その時点で高麗茶碗の流行がはじまっていた、という発掘結果が出ているわけか。
その時期は利休の活躍期である天正十二年以降ではなく、天正元年である。
それって「魚屋茶碗は利休が見出した」じゃなくて「利休魚屋茶碗は利休が見出した魚屋茶碗の逸品」でしかなくなるわけだ。

小田 だから、おっしゃるように朝倉屋敷に出たのも魚屋の一類でしょうし、利休魚屋は、利休のときにあれだけ顕彰されているんだから、当然それ以前に来ているわけですからね。また、どう考えてもそれ以後としか考えられない魚屋が数多くありますからね。
林屋 そうです、そうです。
小田 値段は別ですよ(笑)。
林屋 利休魚屋というのは、あれしかないんですからね。注文ものだったらもっとなければいけないしね。

んで、さらっと江戸時代に増えた魚屋茶碗の話。
値段の話に落ちるのが面白い。というか、近代数寄者っぽい。

この二人が対談している前提の、ベース知識ってもんが私にはない。
なんでこの二人の会話の場に居ても口を挟んだり出来ないだろうなぁ。