茶道具の用と美5

林屋 ここに「名品に学ぶ」というテーマが編集部からきていますけど、現代において世界の誰にも通じる名品中の名品の一つとして、やっぱり曜変の「稲葉天目」、そして青磁の「馬蝗絆」というものは動かしようがないでしょうね。

曜変天目青磁の美しさは、お茶の世界だけに留まらない美である、と林屋さんは言う。
まぁそうだよね。

林屋 ただ、美意識の違いで、あれらが天正年間には「代軽きもの」になっていますけども、しかし、あれは一つのどうしようもない美しさというものです。ただ、侘び数寄の道具としては向かないものであるということでね。
小田 曜変のギラギラした中にお茶を点てようという気にならないですよね。
林屋 ならない。それはやっぱりお茶を飲んでおいしいのは、曜変を賞翫した時代には、先ほど小田さんがおっしゃったように、相手にもされなかった灰被のほうが茶になりますよ。この対照はものすごくおもしろいですね。
小田 「山上宗二記」になると、すごい持ち上げ方ですよ。
林屋 曜変や油滴が代軽きものなんだ。その百年前は値万疋のものでしょう。片一方の灰被は「上に用なきもの」なんだから。まさに下克上ですよね。あんなおもしろい対照はないね。

やはりあの辺の名物はお茶に適していないのか…。俺は点ててみたいけどなぁ。

小田 「井戸茶碗は何でそんなに評判がいいんだ」いつも聞かれるのですけど、「それはその世界に入らないとわからない」とは言うものの、何か物を言わなければならないというときには、お茶の茶碗の条件というのをとりあえず挙げていくわけですよ。まず形だとか、それから茶の色との映りだとか、肌合い、重量、口あたり、湯熱の伝導、そういうことを点をつけていったら、井戸茶碗と楽茶碗が百点満点だ。
林屋 そうでしょうね。
小田 ところが、いまの「馬蝗絆」なんかは、色の映りは悪いし、口あたりは悪い。湯の伝導は熱過ぎる。だから、茶の湯道具としては、どんどん減点していくのです。

馬蝗絆に関しては小堀の先代さんも「点てにくい」って言ってた様な。
ま、そもそも抹茶文化のものではないんでしょう。

林屋 そうですね。それと、やっぱり座敷に道具としてなじむかなじまないかということが非常に大きいですね。書院会所なら、向うで点てて台にのせて持ってくるんだから、これはまあまあよかったわけです。しかし、いわゆる茶室、ああいう小さい座敷で、主客相対座して一碗の茶を点てて飲む場合に、「馬蝗絆」はやっぱりなじまない。
小田 なじまないですね。
(略)
林屋 やっぱり日本人の美意識がそこへ入っちゃったわけですね。曜変天目は、台に乗せて同朋衆が持ってきて、曲録*1に座って「はい」といただいたら様になるね。
(略)
林屋 基本的にはやっぱり宋風ですよ。

シノワか和風か、で、書院の時代はまだシノワが尊重され、侘び茶の時代は和風になった。
もう生活様式からして違うので、何が茶に適うかが変化してしまったってことよね。

それにしてもこの二人が馬蝗絆に関してなんの疑いももっていなさそうなのが不思議。

*1:金偏なし