茶道具の用と美7

林屋 さあ、これは人によってまちまちだろうけども、私は数寄道具というのは、乾山で終わりだと思っている。ほかはみんな完璧にコピー文化です。だから、数寄という言葉を使った器、道具というものを生み出せるものを持っていた時代は乾山まで。あえて限定するならば、やっぱり遠州、宗和、宗旦、そこまでじゃないか、と私は思います。
小田 だから、松平不昧の場合なんか要するにそれを集めて、楽しんで、いかに活用するかだから。
林屋 そうです。創造がないわけですからね。
小田 我々だってそうでしょうね。そういうのを享受するところに生きがいを感じているわけですから。

非常に非常に重い話。

我々のやっていることは、過去の模倣と過去への憧れでしかないのではないか?
そこを道具の話でつついてしまう二人。

林屋 それははきりしているんですよ。確かに光悦会がそういうものを享受してやっているわけでしょう。あそこに乾山以後のものはほとんど出てこないですよ。幾ら保全だ何だと言ったって、それは問題じゃないんだ。なぜかというと数寄道具じゃないから。形に従っている道具だから。そこのところが非常に大事なんですよ。数寄道具というものは創造精神においても、見立ての精神においても、自由でなければいけない。私はそう思う。感動しないんだもの。人を感動させるものがいいものなんだ。結局、いまでもそうなんだ。ただ、現代の茶の道具というのは、そういった意味で感動させるものがなさ過ぎますね。
小田 そういう茶会は拝見が速いですよ。『ああ結構ですなぁ』と言って済んでいる。たとえば杉木普斎でも何でもいいですが、パッと見て「あっ」とそれに目がとまるということ。これが感動ですよね。
林屋 そうですね。千家で言うと覚々斎、あそこまではありますね。
小田 ありますね。
林屋 数寄道具というものは覚々斎で終わるんですよ。

とりあえずこの二人を招いた事のある茶人が読んだらがっかりしそうだなぁ。

でも重い。私よりも沢山の道具を持ち、見た、そういう人達のこの言葉は。

感動させよう、その為に感動的な桃山の道具を模倣しよう…というのではいかん、と。
でも、模倣の要素を含まない本当に新しいもので感動できるのか?感動させるためには、他人の過去事例に頼らない、本当の本人の実力が必要だ…。
つまり、光悦のような乾山のような仁清の様なものを作らずに、光悦のような乾山のような仁清の様なレベルに達しろということだろう?
これはあまりに残酷で絶望的な話ではないかい?