茶道具の用と美9

中村宗哲(先代)、松井宗新(業躰)、三田富子(ライター)の対談。

利休形棗に関して。

中村 あれは手の内に入る大きさですね。
松井 特に棗の持ち方が変わるでしょう。横からでなく、上から半月に持つとかよく言われているように。となると、いまの大棗が男子ならいいでしょうけど、女子にはちょっと大きいかなと思います。あるいは紹鴎形ですか。下がスーッと平行適にいって。
中村 ずん胴になっていますね。
松井 これはまた持ちにくい。そうすると、やっぱりあの肩からスーッとなだらかに曲線を描いて、ちいさくなっていて非常に持ちやすい。そういうことは言えると思いますね。ただ、その反対に言うと、例えば夏の釣瓶は利休形が持ち運びには少々大きいですね。持ち運びには少々重たくなるとか、その辺はやっぱり時代で、あの当時は男子が緒もでしょうし、しかも武士でいらっしゃるしで、ある意味でちょっと力ということで言うと、あれで持ち運びができたんでしょうけどね。

つまり、茶道の女性化が利休形忠棗を流行させている、と言う部分もあるということか。

生き物のサイズとしては、当時の武将より現代の女性の方がなんぼか大きいのだけど、まぁ膂力は違いますわな。

しかしあれですな。
茶道の女性化が理由で、この時代の道具は、女性向けサイズ/女性向け意匠の作品の方が後世に多く伝わる、という時代になるんじゃろうか?

いやまぁ今後もますます茶の湯は女性化して、男性的なものは廃れて伝わらなくなる、と言う傾向が続くならそれでもいいのかもしんないが。