茶道具の用と美15

三田 それはいま、これから新しくつくっている方にぜひ知っていただきたいことで、何でも柄があればいいというような形で、このごろのを見ますと、椿がバーンと真中に、頭のてっぺんについていたり、派手派手しい色で何だかわからない花がボーンと載ったりしていますけれど、そうではなくて、やっぱりよく研究して、古い言い伝えの逸話のようなのを知る必要があるのですね。それを知らせてくださるのは松井先生のほうのお役目ではないでしょうか。

文句は不昧公にも言おうぜ。

松井 でしょうね。だから、買うためには選ぶわけですね。使おうと。そのときに、あんまり男女を言ったらいけないのかもしれませんが、女子は多分見て買われる。使うというのをちょっと置いて、見て買う。
中村 「ワーきれい」、という。
松井 こっちは、棗のてっぺんに何かある。棗の上に茶杓が載るか、これをまず考えてから見る。そうすると、「せっかくきれいだけど、あれだったら茶杓は多分載らんだろうなあ」と。そうなると、それは買わないというふうに。つくる側の新しい人は実用品であることを忘れつつあるのと違いますか。見せるためのものではなしに、あくまでも使うものである。使うためには、例えば茶杓が載らない棗はつまらないということで発想していただいたらいいのではないか。

耳の痛い話。

駄目な道具は淘汰させちゃおうぜって話なんだけど、そんな事言ったら茶道具屋は駄目道具で溢れていて、在庫で茶道具屋が潰れちゃいそう。

あと、茶杓と棗は組合せによって載る/載らない/載るけど廻るとかあるので、どっちかを買うときにはもう一方を持参する方がいいのかもしんない。