新修裱具のしをり

山本元/芸艸堂/1968年。但し新修初版は1937年。でも第1版は大正十一年(1922年)。
随分息の長い本である。

現今の掛物の式は、支那の法を伝来したので、それは鎌倉時代などに、支那の禅僧の将来した掛物を、擬製したのに始つたのである。
猶その昔にあつては、経巻及仏画像の表装に止まつたものである。

著者は、中国製の表具と日本の表具は全然違うと実地調査で結論付けている様だ。
なので、国内でのリバースエンジニアリングで技術移転して魔改造しちゃった、ということみたい。

でもちょっと不思議なのは、留学僧が、尊敬する僧侶の印加状の墨跡など持ち帰っているだろうに、その作り方を自体をなぜ持ち帰らなかったのだろう?ということ。
自分達が誰かに印加状を渡したりしないと思っていたのであろうか?

今一般の表具に装潢の時をあてゝ居る。
(略)
装潢手は後の経師の事で、鎌倉時代から足利時代に及んで日記記録類に経師と見え、(略)
此の時代にに表具も、経師の手で出来たものであらうが、鎌倉時代から別にへうほうゑ師といふのがあつて、彼が表具専門であつた。
(略)
へうほうゑとは裱褙で、表具の事である。

足利時代にやっと表具師が発生する。

でもこの時代ってもう、書院があって闘茶があっての時代じゃね?
つまり、そういう飾り付けのニーズが有って、はじめて成立した文化なのかも。