新修裱具のしをり7

柱隠 副の細きものを輪褙に仕立て、風帯を一本附けたものである。

ああ、あるねぇ。風帯一本の、それもたいてい貼り風帯の細いお軸。

柱隠は元来床にかけるものではない。

近衛家熈の説に次の如くある。

柱カクシノ掛物ヲカリニモ床ニカクルコトハ其由ナキコトナリ、
柱カクシト云モノハ書院カザリノトキノ真ノ道具ナリ、
書院カザリニ、床柱ニツリクギヲ二ツウチテ、一ツハ環鐘釘ト云、一ツヲ訶黎勒釘ト云、
東山ノ書院ノ法、此ノ如シ、書院ノ床ニ環鐘ヲツリテ、其撞木ヲカクル、
又訶黎勒ヲカクル、
若シ撞木モ訶黎勒モカザラヌトキハ柱カクシノ掛物ヲカクル此定法ナリ。
(槐記享保十四年七月七日条)

槐記読んだはずなのに全然記憶にない。

  1. 床柱に二本の釘があり、鐘か匂袋かを掛ける。
  2. どっちも掛けない時に掛けるのが「柱隠」。
  3. 東山義政の書院のやり方。

でもなんで?柱って隠さなきゃいけないものなんだろうか?
でもそれなら鐘や匂袋の下も隠しゃいいわけなんだが…。
ただの空間恐怖症?

又同公は「当世ニ柱隠ナドノ細キモノヲ一ツ風帯ニスルコトハ其由ナキコトナリ」と非難されて居る。

一本風帯は江戸中期にすら「東山時代にはなかった間違った様式」なのか。

室町末期に開始された「僕等の趣味は東山起源」キャンペーンは、100年後にはここまで洗練され洗脳できていた。400年後の我々が戸惑わされるのはもう仕方ないよね。