飛石・手水鉢3

(一) 沓脱石

(略)
『家屋雑考』には「沓脱、こは簀子の内階の上へ平なる板を敷きおくなり。(略)」と記している。
平安朝の頃はこれで見る通り石でなく板であったこともあり、また簀子から渡廊下へ出る間にも沓脱があった。

『家屋雑考』の成立は天保年間で、家屋の構造の歴史の本。これの寝殿造りの解説部分ということだろうか。

当時はまた沓脱石一個だけで、これにつづいて低く据える二番石や飛石のない場合がむしろ普通であり、この石の上に履物を載せておくのが目的であったと見なされる。
それなれば、上面の平らなものであれば、木でも石でも差支えないわけである。

あれだ。学校や公民館や寺の、下駄箱前の板の簀子だ。
…あれは平安時代からの流れを継いでいたりするんだろうか?

『石組園生八重垣伝』には真の沓脱石として「心信二隻をもって真の沓ぬぎ踏だん石とす。
勝手にしたがって左右の振様可心得、長三尺、幅一尺二寸、高さ八寸を定法とす」(略)と記してある。
(略)

『石組園生八重垣伝』は江戸後期の本らしい。
江戸時代ってそういう「真のなんとか」「本来のなんとか」が好きだよね。
それを突き詰めていって尊王倒幕まで行っちゃったわけだろうけど。

形と大きさは右に述べた寸法が江戸時代末期から起こったもので今日でもこれを標準としている人が多い。
住宅の形式に大差なければ、それでよいわけである。

なるほど。

日本家屋は昔から大体のサイズが統一されてるからな。変なサイズにすると再利用できなくなるわけだし。

常識的な対応である。