飛石・手水鉢6

飛石がいつの時代に庭のなかに用いられたかということについては正確な記録はなく、その起源説はいくつかある。
何れにしても外国から渡来したものではなく、日本の二話に於ける独特の形式である。
平安朝や鎌倉時代にも存したといわれるが、それは推測であり、大体紹鴎から利休にかけて草庵茶室時代に初めて行われたものであり、それが延いて書院庭にうつったと見なされるのが多くの人の認めるところである。

飛石、という装置は茶庭により生まれ、他の形式の庭にも転用されたものだと著者はいう。

昔しの庭は現在の廻遊敷きとか茶庭のように庭を歩くことばかりではなく室内から鑑賞するものも多かったから、飛石の必要がなかったと見なすのも一つの説である。
(略)
飛石が茶室の発祥と同時に考えつかれたとは思われない。
茶庭、茶室を使っているうちに湿気や土質に悩んで後に考えつかれたと見なしてもよい。

平安貴族の恰好を考えると、女性は庭に降りられないし、男は…蹴鞠に飛石は危険物だしな。
地下は卑しい的な意識があったかもしんない。

単純な武士の館では庭は防御施設であり調練場だし…。庭に降りた時に歩きやすくする、というのは茶の湯、それも独立茶室を建てる様になるまで無かったかもしれない。

んで、最初は土の庭だったのを、なんとか歩きやすくしようとして飛石を置く。

そういえば露地草履の発明もこの時代である。たぶん、この二つは関係あるんじゃろうな。