飛石・手水鉢16

蹲踞(つくばい)という文字が示すように体を前こごみにする意である。
茶道発祥の初期にあっては茶庭の中に手水鉢を据え、客はこの前に体かがめて手水を使ったので後世に見るような役石備えた石組構造ではなかった。

なるほど。
初期のつくばいは、もっとシンプルな構造だった、と著者は推測するわけね。

すなわち湯桶石とか手燭石の如き役石は見られなかった。
これらは必ずしも存在の必要はなかった。
湯桶や手燭は石の上でなければ置けないものではない。
夜会でなければ手燭の必要はないし、寒中でなければ湯桶を入用とはしない。
時刻や季節に支配されてこのようなものの必要を認め、次にそれらを載せる石を据えることが便利であったから石が置かれたとみなしてよい。

この「言っちゃった」感。
無駄な約束と言うのは後世になってどんどん増えていくものだよなぁ。

しかし手水を使う以上必ず存しなければならぬものは前石であり、これは手水鉢と離すことのできない役石であり、水鉢がおかれる以上同時に前石だけは据えられたものである。

手水が屈んで使うものだから、裾が濡れない為には前石が必要。

前石は、そこで屈めば濡れないという保証であり、手水の排水で生まれる泥水に対する一種の島として機能するからだろう。

お寺などに行くと、回廊部に手水鉢があることがある。

庭からにょっきり突き出した長い手水鉢か、さもなくば天井からつるした金属の洗面鉢の水を廊下で使うのだが、排水先は適当である。

庭に据え、地面に立って使う手水鉢だからこそ、排水方向や利用者が濡れない作意が必要なんだろう。