飛石・手水鉢17
それならば何故茶庭にあってこのような丈の低い水鉢を据え、体をかがめて手水を使うような構造になったかというに、それは露地というものが自然の理想化であり、出来れば涌水や岩清水でも使いたい場所らしく造られるところであり、つくばいそのものも自然景観の一つと見なしたいからである。
(略)
仮りにかかる場所に丈の高い水鉢を据え、客が立ったまま手水を使うことのできるようなつくばいであったとしたらどういう感じを与えるであろうか、あたかも神社の社前に見られるような手水鉢を想像して見てもよい。
これでは茶会に参ずる落つきと精神の統一はできない。
なるほど。
便利だろうけど、確かにかっこ悪い。
柄杓の位置、湯桶の位置が高くなるのは危ないしな。
ここに手水鉢を普通より高く据えたことのある事実が『南坊録』に載せられている。
それは織部が徳川秀忠の茶道師範であった頃の話で、当時駿府に居た家康が江戸に上り、江戸城の数寄屋山里の露地で茶会に出る折、織部は家康の老体をいたわり腰をかがめないで水の使えるよう鉢を高くした。
うーーーん。
南坊宗啓は「利休の三回忌に出奔した」ことになっている人なので、織部の事はほとんど書いてないし、江戸時代の話なんて書き残せないだがなぁ…。
偽書の偽書とはたまげたなぁ。