天目茶碗考3

宋代以前に於て浙江省に製陶の盛んであつた記事を摘記すると、

陶處多者自來莫過於汴其次為浙(景徳鎮陶録巻十)

東甌陶 甌越也、昔属國地、今為浙野温州府自晋巳陶、其瓷青(略)(同巻七)

いろいろ長い漢文なので略す。
要は:

斯くの如く天目山附近には陶窯多く、其製する處の主なるものは青磁であつた事が知れる。然るに天目茶碗は青磁ではない。
天目山の禪刹にて何を苦んで其省内の製品を使用せなんだかとの疑がないでもない。

天目山の周辺は製陶業が盛んであったが、青磁の産地という記録しかない。
つまり天目の産地でない、という事。
天目山周辺の陶器だから天目、という事はないわけだ。

今試みに之に就ての私見を述べると、浙江福建の二省は相隣接して居るので、天目山にては福建省建安にて造れる天目即建盞天目を得るのが便宜が多かつた事は確かに其一理由である。
又普通陶器生産地では其地方製造の物より他地方の正否を實用する傾向のあるのは至然の事であり、加ふるに青磁と建窯製品とを比較すれば建窯製品の方が青磁よりも一層禪の趣味に適合し茶器として好適のものである。
以上の三理由は確に浙江省の禪刹に建盞天目の賞用せられた所以だと思ふ。

同時代の大観茶論から、抹茶には黒茶碗がヨシとされていたのは判る。
建窯では天目茶碗を大量生産していた。これも発掘から判っている。
つまり宋代では天目は一般的な茶の器だったということだろう。

そんな状況で建窯から茶碗を買うだけだったとしたら、天目山の名が天目茶碗に付けられる理由がない。

  1. 天目茶碗はそもそも天目山の寺院の注文品だったのが普及した。
  2. 天目山では他にない茶礼が行われていた。

あたりの理由がないといけないと思うのだが…。