天目茶碗考5

天目茶碗の使用

天目茶碗は酒を飲む為の器であつたのを我國では茶器として用ひたとの説があるが、之は首肯し難い。
此説は多分建盞の文字に拘泥し盞の字を盃と訓みたるより誤つたものゝ樣である。

盞は浅い皿を意味する字で、やはり盃の意味らしい。

しかし盞は酒盃ではなく、康熈字典にも盞杯也、酒盞最小杯也本作盞とある。

いや、そこに盞は酒の杯で最小の奴って書いてあるやん。

其他諸書に盞を點茶の用に供した記事があり、又茶盞とも書してある。

現代の我々は、茶碗で米飯を食っているが、特に問題はない。用語の問題ではなかろうか?
とりあえず酒の器として適切かどうかは、当時の飲酒文化とも関わってくるから、簡単に結論は出せない。
元明代の酒の度数にもよる。
概して度数の高い酒の器は小さくなる。どぶろくクラスで浴びるように飲むものなら、建盞サイズでは小さい気がする。日本のおちょこも、おそらく江戸時代に清酒というものが普及してからだと思うんだわ。

今日支那に於ける喫茶の法に依て考ふれば、天目茶碗は茶器としては、淹茶に用ゆれば片手で取扱ふには重過ぎ、又煮茶用としても大に過ぐる樣に見ゆるが、唐以降宋元時代に於ける
支那の飲茶方法は必ずしも今日同樣であつたとは斷じ難く、今日の如く煎茶淹茶の方法が周く行はれて抹茶點用の廢れたのは蓋明初以來の事と思はれ、其以前には抹茶の飲用が却つて煮茶よりも盛んであつた樣で、日本の抹茶飲用の方法は我發明ではなく、支那の宋元時代に行はれた點茶方法を南浦紹明等の禪僧が鎌倉時代に傳へられたものと思はれる。

器の大小向き不向きでいうと、天目茶碗は安定が悪く、茶筅も小さいものを使わねばならず、正直抹茶法には向いていない様に思う。

茶托に湯呑みを載せるごとく、天目台に天目を置く方が使いやすいと思う。
とはいえ、そこは本質ではない。黒い天目に、煎茶はおいしそうに見えないからだ。
天目は酒向きかもしれないが、煎茶向きではないな。