天目茶碗考6

天目茶碗の茶器として賞用された理由

茶器として天目茶碗を珍賞せし事を説くには勢支那に於ける飲茶法の沿革唐宋時代に於ける茶人の風俗點茶方法等に遡り説くの必要がある。
(略)

といってもあまり意味がないのでざっぱり飛ばす。

元來茶は三國の時既に之を愛用して居つたが唐の代に至りては飲茶の風鄙齊滄捸より京兆に及び至る處の城市に茶店なきはなく、道俗共に錢を投じて之を飲み、江淮より都へ輸送する茶の荷は舟車相繼ぎ方々の山々には茶の樹を植えて其産額は甚多かつたと云ふ。(略)

つまり唐の時代に大流行したよ、ということが判ればよろしい。

斯くの如くにして好事の輩相集まりて茶を品するの風興り闘茶の技が行はれた。

そして↑が言いたいことだったらしい。

而して此の目的に對し天目茶碗は茶人の間に賞用せられたらしい。
何となれば其色暗褐色で茶の色と好對照を為すにより茶色を辨ずるに誠に都合がよく又底を狭く深くしたる形は茶液の深さを増して稀薄なる茶の色を見るに宜しく温度の變化は茶味に變化を與ふるに依り保温の上より厚手の器物を用ふるの必要があり
天目茶碗は此等の諸點より見て實に好適のものであるから、其愛用されたのは當然の事である。

まぁ、天目が闘茶向きなのは判る。
でも中国の闘茶が日本の闘茶と同じ形式で、しかも天目を使っていたかは疑問がある。

著者の中で、天目は天目山の寺院の産物なのか、市井の闘茶の為のものなのか、どっちとして日本に招来されたことになっているんだろう?

そんな理由で市中に溢れた流行品に、茶礼から「天目」と名付ける理由はない気がするのだが。