天目茶碗考7

天目臺

古者尋有舟、爵有坫即今俗稱臺盞(原文 王+戔)之類也、然臺盞亦始於盞托、托始於唐、前世未有也(略)(演繁露ー格致鏡原巻五十一)
(略)

即ち一説には周の時代に既に六尋の下に舟を置きて承盤とする事あり、又臺盞の象は漢時代にも見えて居るが、これは周の遺風と見て宜しからうと云ふのである。
然かし之を茶碗の下に應用したのは確に一の新案として見るに足るべく、此事は唐の時代より始まり、其始めには茶を入れた茶碗が熱くして取扱ひ難きより、皿を其下に敷き、茶碗の底に當る所に環を付して傾側せざらしめた。
これが即ち茶托である。
その後茶托に足を就けて臺盞即ち天目臺が出來たと云ふのであるが、此説は至極自然で無理がないと思ふ。

特に異論はない。

ただ、木で茶托を作れるなら、木の椀で飲むと言う選択肢もあったのだが、それをしなかった理由はなんだろう?
また、熱いものを飲む、という風習は、汁や湯でも同じで、喫茶より歴史が古い筈である。そこで同じ発明が生まれなかったのはなぜか?

まぁ木の椀や匙で茶を飲んでも茶はおいしくないか。

そういう意味で汁物を飲む…匙や椀で、という風習では解決できない喫茶と言う風習が、茶托を生んだのかもしれない。

西洋風の珈琲茶碗、紅茶碗の下に受皿を置くのを見れば茶托の起源は自然の要求として斯くあるべく又自家専用の茶托として蓮の葉の形のものを選用したのも尤然るべき事の樣である。

つまりアレですな。

お高いコーヒー店の、紙コップのスリーブは天目台と同じものなんですな。