天目茶碗考11
○烏盞
君臺觀左右帳記に、土藥はけんさんの如し、形はたうさんなりにて大小あり、三百匹。
(略)
君臺觀左右帳記には上記の如く、湯盞の形なりと云ふ。
湯盞は平茶碗にして天目茶碗ではない。
しかし支那にては烏盞の天目茶碗の有つた事は、格古要論及陶録等に見えて居る。茶色白宜黒盞(茶録)
建安黒窰(五雑俎)
(略)
特記すべき程黒くて、しかも別の形であるなら、烏盞は全く別の茶碗ではなかろうか?
○鱉盞
君臺觀左右帳記に、土白し藥あめ色にしてほし有、鳥花の形藥の内にあり千匹ばかり。
(略)
木の葉天目とかの類だろうか?
○能皮盞
君臺觀左右帳記に同べつさんに似たり、代同前
(略)
按ずるに、鱉盞は鼈甲の斑紋の如きもの釉面に現はれたるにより斯く命名したりしものとすれば之れ實に玳皮盞と云ふべきもので、遠州の箱書にも鱉を玳皮盞と記せるのを見れば、此二者の同一なる事が知れる。
(略)
要するに玳皮盞と鱉盞とは同物と見るのが至當だと考へる。
玳皮盞と鱉盞が同じなら、なぜ君台観左右帳記は分けたんだろう?
このあたりの茶碗は、名前を知るのみで、なんとなく分類できた気になっていたが、実は実体を全く知らない気がする。
これが楽焼などであれば、代々使われて来た経緯がはっきりしていて、これが利休形とか言えるんだけど、天目は一時期本気で廃れ、現代でも資格取得の一環で触れられるものに過ぎない。つまり実質廃れていて、失伝している気がする。