天目茶碗考14
建窯の起源は宋の時代で、其後引繼き元時代に於ても盛に同窯にて製陶して居つたが後に至り廢窯された。
本書を読んで初めて知ったのは、建窯がさほど(中国陶芸史では)重要な窯ではないということだ。
景徳鎮が猛烈な歴史を誇るのに対し、建窯は「抹茶の歴史」に沿って興り、亡びていく。
窯場は當初は今の建寧府建安であつたが、後に建陽に遷つた。
其精確なる位置は水吉鎭で現に同處に其窯址存し、建盞の破片等が多く發見せられる。
窯場が移動するのは、おそらく燃料の問題ではなかろうか?
周囲の木を使い尽くせば、窯は存在できないから。
建盞の宋代に始まると云ふに異説が無いでもない。
唐ノ陸羽ガ時、建安ニテ茶碗ヲ製シテ其名ヲ陶寶文ト云、今世人云七品ノ建盞也、其ウチニ勝レザルヲ啜香ト云。(茶事談)
いや、唐代の団茶の時代に建窯の茶碗はないだろ…。
中国の史料ならともかく、日本の茶事談だしな…。