天目茶碗考15

○飲茶の方法が變化した為め茶碗の色之に應じて變りたりし事。
(略)
陸羽以來黒盞を宜しとす。
本邦にもとりわけ黒樂茶碗を點茶家賞す、これみな抹茶によろし、
煮茶、淹茶には白色の盞よろし、
しからざれば茶色見えず、厚きをもろこしにも宜しとす、
點茶家流には厚く燒の柔かなるをよしとす、煮茶はしからず、
萬暦、嘉靖、宜徳、成化等の制白磁にしくものなし、厚きをよしとす、手に取時熱からずして宜し、
(略)
(青灣茶話)

江戸中期の日本にも煎茶の風は伝わり、煎茶には白磁、そういう風潮が一般的になっていたようだ。
鎖国って何なんだろう?

磁器の創製されたのは何時の頃であつたかは不明で、輕々に論斷し難い。
(略)
支那に於て磁器の創製せられた初の頃は極めて之を貴重視して其製法を秘密にした事は宛も後年獨逸國マイセンmeissenに於て磁器を作り出した時の樣であつたらしく、彼の秘色窯の如き宮廷専用の器物のみを造りて民間の需要に應ぜなかつた等の事の如きを見ても略推知せられる。
されば其創業は唐代或いは宋初なりとするも、各地の窯にて之を製作し、一般世上に普及したのは元明時代の頃であつたと看做して宜しいかと思ふ。
此磁器の盛んに製造せられ、擴布せられた事は建窯の廢滅に大關係があると余は信ずる。

煎茶の流行が磁器を生んだのか、磁器の誕生が煎茶の流行を生んだのか…この辺は判り難いが、中国人は黒茶碗より白茶碗を好み、煎茶を好んだ。
この流れで抹茶が廃れ、建窯も廃業になったと著者はいう。

そういえば建盞天目の注文陶というのも聞いたことがない。

もっとも抹茶文化がきらびやかだった頃の日本でもしなかったんだから、室町時代には建窯はなかったんだろう。