つくられた桂離宮神話
井上章一/弘文堂/1986年。
まえがきがもう、面白い。
いきなり自分の恥をさらすようだが、私には桂離宮の良さがよくわからない。
いっぱんに、桂離宮は日本美の典型だとされている。
建築芸術・庭園芸術の精華だとされている。
離宮への感激をつづった文章も、枚挙にいとまがない。
おそらく、これほど「美しい」と言われつづけてきたところも、そう多くはないだろう。
私じしん、ここをおとずれるまでは、空間造形の粋として桂離宮をイメージしていた。
だが、最初の拝観で、このイメージはくつがえされる。
私は、まったく感激しなかった。
「桂離宮の素晴らしさ」と、実物のギャップに対する、痛烈な実感がここにはある。
私は、たいへんがっかりした。といっても、桂離宮そのものに失望したのではない。
桂離宮を見てもなにも感激することができない自分自身に落胆したのである。
当時の私は、いっぱしの審美家をきどっていた。
美的な感受性のゆたかな人間だと思いこんでいた。
俺はパンピーではないんだよ、というスノッブの静かな叫びがここにある。
ひねくれた性根がたまりませんな。
まあ、それはそれでよい。
問題はそのあとである。
私は、桂離宮に対する無感動を誰にもしゃべらなかった。
いや、それどころではない。
桂離宮の印象はどうだったなどと聞かれると、その空間構成の妙をもっともらしくほめたりした。
「桂離宮は素晴らしい」といわねばならない強制力が、社会にはあるのではないか?
筆者はそう言っているわけか。
だが、私の捏造は、私の虚栄心だけに原因があったのではない。
桂離宮の側にも、私に美的感激のポーズを要請させるだけの力があった。
この点を見落とすべきではない。
桂離宮は、日本美を象徴するものとして日本文化史上に君臨している。
そして、私のような人間にたいして、ある種の権力を行使する。
(略)
そして、おそらく、この権力が力を発揮するのはひとり私にたいしてのみではない。
そしてこの強制力は、日本文化史における歴史上の経緯がそうさせているわけだ。
余談になるが、現在の私は、もう桂離宮という権力にあやつられることはない。
自分では、その勢力圏からぬけだしたと思っている。
桂離宮にたいする無理解も、平気で書けるようになった。
(略)
安直なヒロイズム気分をゆるしてもらうならば、現在の私は権力から脱出してきた亡命者である。そして、この本では、亡命者の立場から祖国の内情とその歴史を書いてみたいと思っている。
「桂離宮は素晴らしい」というドグマから逃れられたから、「桂離宮は素晴らしくない」という本が書けるようになったわけか。
僕も、自分の目で見れば「大変結構です」と言えないものに「大変結構です」と言っていることがあるなぁ。
空気を読んだ方が大事なことはあるわけだけど、「大変結構です」と言ったからといって「あんまり結構ではないもの」が「大変結構なもの」になるわけではない。そこはわきまえとかないと。