ブルーノ・タウトの日記

篠田英雄 訳/岩波書店/1975年。

どういうわけか買っていた、ブルーノタウトの日記の出番だぜ。

五月四日(木) 京都−桂離宮

午前、入浴。上野氏、ガルニエ夫人、下村氏と朝食、本を頂戴する。庭で写眞を撮った。
饗食後、上野夫妻、ガルニエ夫人と一緒に自動車で京都郊外の桂村に赴く。桂離宮を拝観するためである。
多彩な街頭風景、婦人や子供達の美しいキモノ、いろいろな物賣る店、牛の眼、自轉車に乗っている人達のマスク、黒や赤の鯉幟、市場。桂離宮の清楚な竹垣、詰所の前房で来意を告げる。
一匹の足萎えた蜥蜴。御殿の清純眞率な建築。深く心を打つ小兒の如き無邪。今日までの憧憬は剰すところなく充された。

下村正太郎宅、つまり烏丸丸太町の大丸ヴィラからの御出勤である。

この建物には、或る部分だけを特に際立たせたようなところはひとつもない。
すべての部分がそれぞれすぐれた釣合を具えながら、しかも全體として見事な統一を保っているのである。室内の釣合は坐ったときの標準を目安にしている。(新書院の)他奇のない御庭!
(略)
古書院の間から眺める御殿の素晴らしい景観。それだのに新書院の前の御庭には、もうこのような造園術は見られない。
藝術的鑑賞のこのうえもない優雅な分化だ、すべてのものは絶えず變化しながらしかも落着きを失わず、また控え目である。眼を悦ばす美しさ。──眼は精神的なものへの變壓器だ。日本は眼に美しい國である。

これら一連の賛辞から、桂離宮の伝説は始まった。


さて三日後。

五月七日 京都−蹴鞠−歌舞練場

上野氏の建築主に招かれて瓢亭(古い日本風の料亭)で食事。上野氏夫妻も一緒。
池が或(大きな魚が跳ねていた)、えも言われぬ美しい布置結構だ。
取りわけ瀟洒な入口、茶室風の部屋、洗練されたサーヴィス(便所)!日本風の献立、
このうえもなく高雅な食器、殆んどすべて漆塗である、非常に上品だ。
心ゆくばかり樂しむ、この落ち着き、この静けさ──これでも料亭なのだ!

瓢亭ブームとか起きかねない感じですよ?コレ。

いやさぁ。ブルーノ・タウトって単なる感激屋さんだったんじゃねーかなー。
一事が万事こんな感じよ。