けいこと日本人

中森品三/玉川大学出版部/1999年(初版は1978年)。

お茶の話ではない。だが、能楽師が語る「けいこごと」の話はいちいち含蓄が深い。

今日、稽古事とは学校教育になじまないか、またはより高度な内容を、自分で思い立って、その道の上手または有識者から、原則としてマンツーマンで伝授を受けるもの、さらに言えば、広い意味での娯楽性と自己鍛錬の満足感を持ちうるものと定義したらよいでしょうか。

「自分で思い立って」の部分には傍点有り。この「自分で思い立って」が重要だよな。社会のシステム上必要なものだったら、大衆的な教育システムに乗るわけだし。
そういうものでないから、「自分で思い立」たないといけない。だからこそ「原則としてマンツーマン」。

「自分で思い立って」「マンツーマン」でも、数学がもっとできるように…だったら、これはただの家庭教師なだけだ。

社会的に必ずしも必要ないものだから、「広い意味での娯楽性」「自己鍛錬の満足感」がある。すごい完全な定義じゃないかい?

大略左のようなものが含まれます。

文化・芸術 ……造型(彫刻・絵画等)、芸能(音楽・舞踏等)
家事・生活 ……実用(料理・裁縫・算盤等)、うるおい(茶道・生花等)
武道・スポーツ ……肉体的(剣道・ゴルフ等)、精神的(碁・将棋等)

稽古とは、これらの技術を、金銭または勤労を代償にその道の先輩から教えてもらうことです。

ものすごく求道的な場合は、金銭又は勤労ではなく、その道の後継者育成の為に無償ということがありそうだけど、それまた一種の勤労奉仕だし、そのへんになるともはや稽古事という枠をこえてそうだしな。

そしてその中には次のような要素の全部ないし、ほとんど全部が含まれていると考えられます。

(1)技芸の伝承とその拡大深化
(2)独特な雰囲気への没入
(3)リクリエーション・気分転換
(4)交友範囲の拡大・特殊グループへの参加
(5)収入への先行投資・万一の際の生活手段としての保険

実際には(2)〜(4)項が稽古事の魅力であり、問題点でもあります。

稽古事に(1)と(5)が普通は含まれない、と割り切って考えられる「能を教える側の人」って凄いわ…。