けいこと日本人3

プロ(玄人)とアマ(素人)

夢の世界を設定し、そこを訪れる人を満足させるべく努力するのがプロ。
そこに遊び、目的とする夢を得るのがアマチュアです。以下、そのプロとアマについて述べます。

プロの資格は何といっても、

(1) 正確であること
(2) その社会の表裏に通暁していること
(3) 客あしらい(あえて教え方とは言いません)を心得ていること

です。

知識が正確でないと、アマはお金を出す気にならない。聞く度に違った解答を聞かされる師匠を、弟子は尊敬できないだろうし。

半可通の弟子が聞き齧った「裏話」に、リアクションできない師匠もあかん。

んでもって、なにより、おぜぜ戴くやり方が優れていないと、弟子は金を出さんわけだ。

なるほどなー。

それにしても「あえて教え方とは言いません」というのが深い。

お稽古事のプロの仕事は、アマに教育することである。

だけど、稽古事のプロの本当の仕事は、アマに教育することにより、アマを夢の世界に所属させることであって、アマを教育し尽くして夢の世界から卒業させることではない。

卒業と言うゴールのない教育方針を「教え方」とは言えないわなぁ…。

習うほうの取り組む姿勢には、大別して三種類あります。

(一)子飼のプロ─師匠のコピー

代々それを職業としている家の子供や、多く親の意志によって幼少からその道を選ばされた人。世間からも真正のプロと評価され、前記の三箇条も最もよくわきまえているはずです。ただし、才能の有無は別物ですから、芸術家として真物かどうかは別問題です。

家元宗匠家によくある話ですな。

(二)好きでなったプロ

好きが高じて人に教えたくなる、あるいはプロとして芸を発表したくなる─よくあることです。正統プロから忌み嫌われるケースですが、自分が好きで、努力して、才能があってなるものならむしろ理想的とも言えます(自分がそうだから言うのではありませんが)。

これは「アマがプロの収入源を辞めて自分もプロになった」んだから、忌み嫌われるのは当然かと思うんだけど、コレ明言しちゃうのもすげえな。

(三)アマチュア─楽しみが第一義

マチュアとは、言葉本来の意味からすれば、金銭を目的としない、好きでやっている愛好者のことです。アマチュアの目的は楽しむためですから、基本的には自由な発想で自由にプレーして良いはずです。ただ、古典には、それが確定するまでに多くの人の工夫研究があってのことですから、個人の思いつきぐらいでこれを凌駕することは不可能です。
(略)
あえて異を樹て自己流を主張するより、習えるだけ正確に習ったほうがずっと得なわけです。

自己流を主張する段階でプロに教えを乞う意味がないわけだけど、それだと「夢の世界」に所属しづらいよね。

その辺を再認識して読むと:

その道に入らんと思ふ心こそ我身ながらの師匠なりけれ
ならひつつ見てこそ習へ習はずによしあしいふは愚かなりけり
こころざし深き人にはいくたびもあはれみ深く奥ぞ教える
はぢをすて人に物とひ習ふべし是ぞ上手の基なりける
上手にはすきと器用と功績むとこの三つそろふ人ぞ能くしる

利休百首、深いなぁ。