けいこと日本人4

目標の違い

ただ、現在の稽古事の社会では、このルールさえ覚えればそれでよしとする、つまり玄人(プロ)に近づくのが理想的であり終着駅であるとの誤解が強すぎます。プロにとってルールは最低必要条件・スタートであり、芸の花はこれから咲くのですから、それを忘れて技術的な正確さのみを求めても、得る楽しさは少ないでしょう。

茶道の教え方はモロにこれで、先生への道を辿る事が主眼に置かれていて、実は茶人になる方法の方がおろそかになっているという…。

だって大概の茶の先生は、茶の先生であって茶人ではないので、茶人になるにはどうすればいいのか教えらんないという…。

マチュアから種々の事情でこれを生活の手段とする人が出るのは止むを得ませんが、その場合、素人時代の実績を忘れて初心から出直す気持がないとうまく行きません。
(略)
技術的には何といっても子飼のプロと差があるのは当然なので、素人時代に絶賛されていても、玄人を基準とした目で見られるとガクッと見劣りがするものです。この点甘くはありません。

先生になる為の評価軸は、素人としての評価とは違う。でもこれはこの本の著者が能楽師だからの考えだけど。

茶道では「プロとしてのお点前のうまさ」とかもともと評価されないからなぁ。

もう一つ言えば、素人が玄人より上手であってはならないというルールはどこにもない(事実下手なプロよりましなアマがいくらもいる社会もあります)のですから、素人で上手というのが稽古事の社会で最も幸せで楽しく、かつ尊敬される立場なのです。

お茶だと本来は「お茶の先生」であるかないかより、「茶人として活動しているかどうか」で尊敬度は変わる筈なんだけど、多分、そうなっていない。

そもそもお茶を習う側が、茶人になりたいと思って習ってるわけでない感じだしな〜。