けいこと日本人7

稽古場のルール

稽古事は夢の世界に遊ぶとですから、そこでは全く特別なルールが必要です。
昔は当然のこととしてわきまえていたこと、ないしは以心伝心で理解できたことでしたが、戦後学校教育のルールが大きく変わったのに伴い、稽古事の社会も大きく影響されているので、一応基本的なルールを、建前と本音(こっそりですが!)をならべてまとめてみましょう。

私も10年選手になってすっかり慣れてしまいましたが、当初はお稽古事世界の約束にはいろいろ驚きでした。今では避けられること、避けられぬことをだいぶわきまえてきましたが…。

封建主義的な徒弟制度が戦後崩壊したのは事実でしょうが、戦前の方々はとまどわなかったんでしょうかね?

(1)師匠の言うことはすべて正しく、全面的に従わなければならない。

これあってこその稽古です(本音──人間ですから間違いや錯覚もある。それを発見し修正するのは弟子のやることで、そのほうが双方とも工合が良いということです)

私はこのブログでは言えるようなこと、先生には言えません。

そういう意味では、人格を切替えて「夢の世界に遊んで」います。

こっちは別の遊び方をしている「夢の世界」ですな。

(2)一旦選んだ先生は変更しない

双方の信頼関係があってこの稽古ですし、同流同系の先生ではあっても微細な喰い違いはあるもので、よくよくのことがなければ先生を変えることは損のほうが大きいものです(本音──その芸についての知識も、先生がどんな人柄で、どんな技倆の持ち主で、その社会でどの程度の地位にあるかもわからないうちに、先生を選ばねばならないのは本当はおかしいことです。(略))(も一つ奥の本音──弟子が勝手に先生を取りかえられるようでは、物がわかるようになると評判の良い先生のところへ集まってしまい、生活がなりたたなくなるという恐怖から、芸能の種類と流派によっては移籍を厳禁し、脅迫に近い規定を設けているところもあります。それでも上級の先生が下級の師匠の弟子を奪うという事例はちょくちょくあり、表沙汰にならず泣き寝入りといのがふつうです。逆の場合は破門をかけての争いになりますが)

私は先生を替えよう…とは思わないですが、「ハズレ」の先生に当たってたら、思ったかもしれません。
先生にとっては収入源の減少でしょうけど、生徒にとってはコストパフォーマンスの問題ですしね。

…そろそろ本音の文章の方が長くなって来ました。

(3) 先輩後輩の序列は守らねばならぬ。
(略)
(本音──稽古事社会での対人関係は大変ややこしく、配役のときなど一一のお弟子さんの事情を考えていたら何もできません。これが一番簡単明瞭で公平なのです)

もう面倒だから建前は省略。

(4)先生は公平でなければならぬ。
(略)
(本音──これがむつかしい。(略)芸本位を標榜して実は個人的な好悪の感情や銭カンジョウによって弟子を差別する人もいます。幼少から芸一筋に来た先生ほど教養が邪魔しないのは止むを得ませんし、ある程度は考慮すべき点もあります)

(3)、(4)は、「同じ条件の弟子」の間は、年功序列が一番楽だ、ということでしょう。
実力とかで見ると、角が立ちますしね。

(5)弟子は習うものの好みを言うことは極力遠慮すべきである。
(略)
(本音──一部の人の我儘を許すと先輩後輩の序列が乱れ、統制が取れなくなる。末永く手許で弟子として習ってもらうためには、あまり早く仕上らないほうが都合がよい、等等) (も一つ奥の本音──これを乗り越えるには、結局、会の出演回数をふやし、晴れの場所での実績を積む。言いかえれば、その分お金をかけるのが一番円満なやり方です。先生も潤うし、ライバルも「あの人とは張り合えない」となればしめたもの。これ以外のやり方では必ずどこかで角が立つでしょう)

しかしながら「条件の違う=おぜぜの払いのよい弟子」は、別でしょう。

わしら通常月謝の生徒は、生徒の自宅茶室へ先生が出張稽古してる様なお金持ち兄弟弟子と、待遇に差が有っても「まぁしょうがないよな。先生もガッツリ稼がにゃならんだろうし」としか思いません。

…というか、「そっちで収入を得といてくれよー。こっちの月謝上げようとか思うなよー」とか思うので、「差別いやさ区別して、どうぞ」ぐらいの気持ちです。