けいこと日本人8

夢の世界で遊ぶ人にとって、自分の先生は唯一無二の尊敬の対象であります。
そしてその尊敬──というより信心が深い人ほど上達が早いと言えます。
よく「あんた教えてよ」式に友達に習う人がありますが、編み物のような機械的技術ならともかく、これで本当に上達した例を私は知りません。
たとえ常日ごろどんなに親しくても、またどんなに年少でも、稽古のときは師と敬い、礼を尽くして始めて芸の本格の伝授が可能になるのです。

師匠に対する尊敬と臣従の気持ち無くては教えも頭に体に入って来ないし、まぁお金もお出しできないよね。お金をお出ししなきゃ、教えも頭に体に入って来ないよね〜。

稽古はこうして教え手が権威を持ち、習い手がそれを認めなければ上達しません。
習う人は始めからそういう気で入ってくるわけですから、たやすくそうした上下関係に入ります。
ところが、世間的にお偉い方々から「先生」と呼ばれるわれわれは、とかくその人たちより偉い人になったように錯覚します。
結果として「なんであんな立派な人が、あんな妙な人間にヘイコラして習っているんだ」と見える師弟が少なくありません。
この関係は恋愛と同じで、熱中しているときは、はたでどう言ってもわかりません。

なるほど!

その先生が偉いのは、その先生の世界だけ、というわけですな。
急に生臭くなってまいりました。

稽古場においては、ふだんどんなに友達付き合いをしていても師弟の節度を守り、稽古場を離れたら日常の関係に戻るべきです。
世間の師弟関係のトラブルは、この点の自覚の欠如が最大の原因であると思います。

稽古を熱心にすればするほど、自分の世界の中で稽古と日常の差が曖昧になっていくわけで、稽古が日常になり、日常が稽古に侵蝕される。
そうなると、稽古場での指導なんだか個人的な命令なんだか判らなくなっていく。
そこで変な踏み出し方をすると、先生と生徒の間に亀裂が走る。

先生の側が節度を保たなきゃならない案件なので、直接こっち側でなんとかできることじゃないけどね。