けいこと日本人10

稽古事の社会でもそうですが、「教え方」というものを教える機会がないのはおかしいと思います。
「芸術は教えられるものではない」とは逃げ口上で、現実に修了証書・卒業免状に当る各種免状を発行している古典芸能社会で、師範免状を発行する以上、「教え方」を教えずに先生商売を始めさせるというのはどうにも納得が参りません。

この後著者の教育論が続くが省略する。

お茶の世界でも実状は同じで、教え方は「先生のやり方を真似る」のがいいところである。

ただ、お茶の世界はもっと根が深い。

そもそも、お茶の先生はお点前しか教えない。茶事の仕方を教えてくれる先生もいるかもしれないが、許状免状の取得条件は特殊点前の修得であり、茶事の仕方なんかは教えには入っていない。少なくともシステム的には。

掃除も、料理も、花も、趣向も、約束も、いろいろな事が茶事には必要な筈だ。
だが、それはお茶の先生になるのに必要な条件ではない。

つまり、お茶の先生はお茶を教えていない。

お茶を教えていない先生から教わって、お茶ができるようになる筈がないし、お茶を教えていない先生が、お茶の教え方を教えられるわけがない。

少なくとも茶名を得るには「茶事をX回主催すること」とかの条件があった方がいいんじゃなかろうか?