けいこと日本人14

近ごろの若い能楽師は、稽古や申合のときに「覚えてこようと思ったのですが、覚えられませんでした」と平気で言うようになりました。
(略)
甘えの世代が古典芸能会でも幅をきかせ始めました。
昔は「やる」ときめられたことは絶対にやらなければならないと思い込んでいました。
そして、やれば結構なんとかなったものです。

戦前の人の根性論ですが、78年の本でこうだと、著者はゆとり世代をどう思うのかいささか気になります。

今はこういう意地というか限界が全くなく、応援団などで「死のしごき」をやるかと思うと、一面では怪我を恐れて運動会すら渋る風潮があります。

どこまでやるとヤバいか、限界を知っていれば無茶もしないし、臆病でもなくなるということでしょう。

ほかに、礼儀とか先輩後輩の連帯感とか、いろいろありましょうが、要は「絶対」に向かって自己のベストを尽くしたことがあるかという経験が大事だと思います。到底無理だと思っても、自分できめた最高の目標に全力で立ち向かい、もしそれを征服できたなら、これほど自信と満足感を得られることはありません。
戦わずして「やろうと思ったけど出来ませんでした」はいかにも情けないセリフだと思いませんか。

とりあえずこういう話の時は「ポストモダンの弊害やね」とか言っとけばいいことになってます。

まぁ一発で覚えられても先生はおまんまの食いあげになるので、先生の側からもやさしく甘やかすという側面があるんでは?求道ではなく商売という面で。