黄瀬戸の謎

黄瀬戸は室町末期、お茶の盛んになりはじめた頃にほんの一瞬流通し、廃れた茶道具である。

当時の作で茶陶として作られたもので伝世したのは1碗のみ。残りは向付の転用である。

これはどういうことなんだろうか?

黄瀬戸が転用するほど良いものであれば、茶人達は「もっと作れ、茶碗として作れ」とリクエストし、最終的に茶碗形の黄瀬戸がバカバカ流通していた筈である。

その次の世代の志野茶碗は茶人の作意がバリバリ入った茶陶になっているのとエラい違いである。


茶人の作意が入っていないということは、茶人の注文が窯元に届いていないのである。

この場合考えられることは、「茶人が窯元に注文すると言う発想がなかった」「茶人が注文しても受けてもらえなかった」「茶人の注文先が無かった」ぐらいが考えられるが、前二者は考え難い。茶人はずうずうしいし、窯元は売りたがるものである。

だから3番目の可能性が高いと私は考えている。

おそらく、黄瀬戸は茶人が国焼茶陶を使いはじめる前に焼かれ終わったものなんだと思う。

んで、茶人が目を向けた頃には注文先が無かったとか、そういった理由があるんじゃなかろうか?。

茶碗形の一碗があるのがどうしてなのか説明はできないが…。