床の間の構成 装飾編
北尾春道/洪洋社/1933年。
昭和8年の床の間の本。タウトの来日した頃だが、著者は茶室の専門家であってモダニストというわけではない。
その人が床の間…書院造りをどう評価していたか。
緒論から。
我が日本住宅は遠く上代より幾千年の歴史を經て、今日の所謂住宅建築が完成されたのであるが、其の間穴居生活があり、掘立小屋があり、三韓隋の文物輸入と共に住宅にも革命が起り、唐との交通に及んでは宮殿建築の樣式が加はつて寝殿造が起り、漸次架構術の進歩に隨ひ、國民化して書院造りの形式が創造され、以來洗練に洗練を重ねて遂に我國獨特の形式を有する日本住宅となつたのである。
殊に足利時代の中葉より發生した茶室建築は、我國民性を最も眞實に表はしたもので、その簡素であり而も明快な建築手法は、今日の日本住宅の形式を造るべき大きな力をもつて居たのである。
まぁ書院建築が住宅に採り入れられたのって、お武家様か商家であって、一般庶民に対しては昭和の建て売りまで待たないといけなかったんじゃなかろうか?
玄関横の応接間、床の間のある和室…ぜいたくな様式である。
古來より日本建築といへば、直ちに伽藍建築の佛教趣味のみの建築と解してゐる向きも尠なくないが、眞の日本國民性に合致したものを求むなれば、寧ろ颯爽たる原始的な素朴さをもつ伊勢神宮の内宮があり、茶室建築のもつ明快な眞實性に富む構成美に、純眞な日本國民性を見出すことが出來るのであると思ふ。
タウトが本を出して評判になったのは昭和9年からなので、タウト以前の和室の評価はすでに「純朴で明快な」反「伽藍」のものだった。
こういう素地があってこその「タウトの発見」だったんだろう。