床の間の構成 装飾編2

然るに我國の住宅建築が明治以来歐米の文物に支配され、一時床の間廢止論が盛に出て違棚や書院迄も邪魔物扱にされ、單に來客本位の無用の装飾であるとか、不經濟な贅澤物として其廢止を稱へられた時代があつた。

明治維新から昭和8年の間に、床の間廃止論があったという。

ここでいう「来客本位」というのは「客が来た時見せるだけのもの」ぐらいの意味のようだ。

そして床の間の必要が唯徳川時代の席の上下を喧ましく言ひ、住宅に於て客を饗應する為の道具であるとし、個人の住宅で饗應するよりも簡便且つ經濟的に人を饗する方法として、會館や料亭を利用することを説いた學者もあつたが、床の間書院が單なる來客本位の饗應の道具と解する等はその誤解も甚だしい。

床の間廃止論の一つの理由は「徳川的だから」。なるほど。

維新後にそういう論が出てもおかしくはない。

今や傳統の尊重のみと考へてゐた時代は去つて、この優秀な架構形式の美を如何に近代趣味に合致せしめんかとの意見が各所にあらはれて來た。
われ/\はこの日本特有の長所を多くもつ床・棚・書院が、日本住宅に附随して發達したことを今更ながら誇りとせざるを得ないのである。
野菊一本手折つて壷に生けて床の間に置き、文人の手になる一句の詩を眺めてもそこには生命の躍動を覺え、西洋建築の何となく彈壓的な装飾よりもこの清楚な装飾に對し、永久に日本人としての捨て難い風雅な面も常に近代的の姿となつて、飽くまでも近代の延長性を失はざる床の間の美は、自然の明るい輝きと共に進んでゆくのではあるまいか。

ここまでいうかぁ。

「優秀な架構形式の美」というのがすごいなぁ。専用スペース上の高級作り付け棚に過ぎないんだが。


桂離宮/日本建築の美を誉めたたえるのはモダニストに限らない。

日本建築愛好家や国粋主義者者にだってメリットがあった。

いろんな人のメリットがあってのタフトブームだったんだなぁ。