床の間の構成 装飾編11

我國住宅建築のもつ特異な誇りとする床の間の装飾は、日本住宅の室内装飾のすべてであるともいひ得るのである。
簡單な架構と材料の諧調とによつて構成されたわが床の間の装飾は、あまりにもその外装は單純のようではあるが、平安朝の寝殿造りより日本化して書院造りとなり、帳臺飾りや二階厨子或ひは押板の形式等が織込まれ、茶道や華道がこれに加はつて、長い年月の間に洗練された床の間書院の装飾は決して單純なものではない。
おそらく四五千年前よりの日本の文化を語らなければ、今日の床の間の装飾を言ひ盡せないのである。

「装飾の披露の場」としては唯一無二だが、装飾としては「仏壇」という最強クラスが日本家屋には設置されてたりするんだが…。

あと日本文化を4〜5000年前に遡るのは、戦前としても無茶である。

然しながら床の間を飾ることは、凡そその人々の嗜好と趣味によるものであつて、斯うしなければならないと言う規約も制限もないのではあるが、前にも述べたやうに、日本固有の床の間は多少傳統的の藝術によつて統一されてゐるものであるから、各床の間の形式に準ずる装飾法を大體は相當考へなければならないと思ふ。
即ち厳正な眞の床の間に對しては、やはり荘厳趣味のある装飾が伴ひ、端麗な行の床の間或ひは清楚な草の床の間に對しては、それ/゛\に調和すべき装飾法が選定されるのである。
それには色彩の關係、置物や装飾品の形態や寸法の關係が生じ、季節による生花や掛軸等の美術の鑑賞がこれに列して、綜合的な装飾が得らるゝものであるから、これは相當修練を積んだ豊富な趣味的内容が表はれた装飾と、只子供の玩具を並べたやうな飾り方とは雲泥の差が生じてくる。

こういう「厳密なルールは無くとも、きちんと格付けはある」みたいな文化は戦後どんどん廃れたと思う。
床の間だけじゃない、着物もそうだ。
不文律みたいなのをうまく伝えることができなくなったが原因じゃなかろうか?
核家族化の影響なのかもしれない。