床の間の構成 装飾編12

以上述べた豪壮な床飾も亦瀟洒なる装飾法も、結局我國建築上に特異な發達を遂げた茶道より來る茶室建築によつて顕はれたとも言ひ得るのである。
即ち各種の床飾の形式もその過半は皆茶人の創作によつて成り、今日まで洗練され發達したものであつて、茶趣味の床飾の装飾法は、畢竟日本建築の總ての装飾法として其源泉を為すものであると言つて然るべきであらう。

本書はさまざまな床の装飾法について書いた後、最後は茶趣味で〆ている。

茶人と諸好みは昔から附きもので、其種別や材料や或ひはその形態等によつても各々茶人の好みがある。
即ち襖の引手に桐の形は原叟好み、玉子形は利久好み、菊の形は大徳寺形といひ(略)

長いから略しますね。

茶人趣味の好みも、斯くの如く其各流祖の好みが基準となつて、そのいろ/\の装飾具と共にそれ等の配置や取扱方も考慮されなければならないことになつてゐる。
それは近代藝術として解放された自由な藝術より或ひは距離が遠いかも知れないが、茶道には斯うした特異な保守的に習慣づけられた事もあり、又元來遠州等は茶人ながらも比較的豪壮華麗な好みが多く、例へば桂の御所等は遠州の經営になれるものゝ代表的のもので、今日尚多くの専門家が嘆賞してゐるのである。

茶趣味は近代の芸術からは遠い、という指摘と、それでいて桂離宮は絶賛されてますよ、という指摘が面白い。
なんなれば、本書の刊行されたのはタウトが日本に来た年であり、おそらくまだ桂離宮ブームは来ていない筈である。
モダニズムの文脈と別に、既に桂離宮は誉められるべきものだったのだ。

簡潔と質朴を誇る茶人趣味も、斯くの如き華麗そのものゝ趣味もあつたが、結局當時の茶道の勢力が如何に隆盛であつたかを窺ひ知ることが出來、且つ今後の近代の茶人趣味が、どこまでこれ等の延長性をもつてゆくべきか、或ひは現代人は如何にしてこの茶趣味を近代建築の室内装飾として、今まで述べて北多くの好みや總てを調和し、且つその妙を極めてゆくべきかを考へなければならない。

江戸時代の武家屋敷に行ったら判るが、立派な床の間のある部屋には、たいてい炉が切られた痕跡がある。
でも、近代の建築の立派な床の間のある部屋に炉が切られる事はあまりない。

近代茶人が独立茶室を好み、日常の交友関係を広間の茶室ですることをやめ、独立茶室で特別に「お茶をする」様になったからだと思う。

大変皮肉な話ではあるが、明治大正あたりでその床の間は、茶人によって引導を渡されたのではあるまいか?んでもって核家族化/建売住宅がトドメを刺したと。