数寄屋図解事典20
にんゆう(任有)
京都三条道場の遍照山円光寺内にある茶室。
裏千家の玄々斎の好みと伝えるもので、床柱の側面に「依命好利休十一世玄々斎宗室花押」と銘がある。
(略)
三条大橋東入ルの圓光寺にある茶室。
茶室に作者銘があるとは珍しい。いかがなものか、と思うが。
ねじかごのせき(捻籠の席)
京都裏千家11代の玄々斎の好んだ席。
名古屋にある楽々軒(日葊ともいう)内にある席名で、
(略)
本事典が書かれた時、昭和美術館はまだ開館していない。
当時は楽々軒(日葊)と呼ばれていたらしいが、これが現在の南山寿荘を指したものか、それとも昭和美術館設立者後藤家の庵号なのか判然としない。
http://www.spice.or.jp/~shouwa-museum/nejikagonoseki.html
によると玄々斎ではなく、その実兄渡辺規綱の建てたもの。
10年ほど前に昭和美術館に行って南山寿荘でお茶を戴いたが
http://d.hatena.ne.jp/plusminusx3/20071022
…全然いい印象がない。たぶん捻駕篭の席ではなかったんだと思う。
ねものがたりのせき(寝物語の席)
伝説では堺において利休の好みになるものといわれ、2間半に2間のわずか5坪の土地をもっている徳助と、その友人の2人が別々に点茶もできて寝物語もできるように考案した茶室と伝えられている。
(略)
こんな間取りである。
3畳と1畳台目の席を廊下でつないだ席で、片方が点茶する間はもう一方は水屋兼押入になるんだろう。左の茶室はまぁ使えそうだが、右は使いずらそう。
利休には貧乏人を助けるエピソードがいくつかある。
後世の人間が、利休を金に淡泊なやさしい人格だった、ってことにしたかったんだろうなぁ、と私は受け止めている。