数寄屋図解事典31

りゅうきゅうおもて(琉球表)

畳表の一種。もと琉球に産した琉球藺という草で織った畳表で、他の備後表に比し品質は劣っているが、比較的耐靭力がある。
(略)

琉球表自体はどうでもいいんだ。この次に「琉球畳」という項目がないことが重要。

あれはやっぱ戦後の、というかバブル期の創作なんじゃろうな。

れんげあん(蓮華庵)

宝暦8年(1758)に川上不白が江戸神田の邸に建てた茶席で
(略)

不白が建てた蓮華庵は現存しない。

現存しないが、復元茶室は二つあるようだ。

http://www.edosenke.jp/chasitu/index.html
http://edosenke.or.jp/souke

…仲良く。万事仲良く。

わらくあん(和楽庵)

岐阜市加藤与三郎邸内にある茶室。この茶席はもと京都竜安寺にあり、金森宗和と織田有楽の合作になるものと伝えられ、当時は詠歌亭といわれていたというのである。

現在では以下の料理店が保存している。奇特な事である。

http://www.senryu.co.jp/warakuan.html

事典の説明だと江戸初期の茶室のようだが、潜龍さんの説明だと、明治の再現茶室で、建てた加藤さんが宗和と有楽で和楽庵、と名付けただけで、二人が合作という話もなさそうだ。


…ということで、この事典読了。
ピックアップした以外も含めて勉強になったぜ。
事典の内容が結構間違っているのも勉強になった。


昭和30年代にあった茶室が60年経過して結構無くなってしまっていること。

そして大正昭和の茶室はあまり大事にされないことがよくわかった。

あと、大戦でどんだけ焼けたかも。

大阪で焼けた茶室のほとんどは「大坂冬の陣」の為に造られた奴だし、その頃まで堺にあった由緒ある茶室は「大坂夏の陣」で焼亡しているわけだから、戦争がどれだけ茶室を焼くか、そして造るかと考えると興味深い。