茶匠と建築10
千家の中興。
宗旦以来の茶の古格を踏襲するだけでは、千家の茶を、世に広く浸透させてゆくことができないと、覚々斎は考えたのであろう。
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利休が極限まで圧縮した茶室を、宗旦は侘茶にふさわしいものとしてとくに好んだ。
宗旦のあとの人たちは、そうした極限の広さの中のゆとりを工夫するところに、侘茶の働きを見出したらしい。
利休至上主義では堅苦しすぎて客が集まらない、というのは当然な気がする。
その厳しさでも客が来るのは、亭主が利休だからで、子孫は利休ではないからなぁ。
世に原叟床という床構えが行われている。
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原叟床とは、一畳の大きさの板敷にちょうど床の幅と深さを画する位置に床柱をたてて、床の空間を構成する形式である。
(略)
この床構えを導入すると、室内がひじょうに広くなる。
例えば四畳半の中にこの床を組み入れると、実質的には三畳半であるのに、ほとんど四畳半と変わらないゆとりが生じる。
原叟床は踏込床で、客座とシームレス。実体のある床なのに、仮想的に座敷の一部のように見える、というのがミソか。
しかも床框がないから、格式として侘び方向に振れている。
なるほど。頭いいなぁ。というか、
利休宗旦の方向性のままでは客が来ないし、利休宗旦の方向性を無にするとアイデンティティクライシスで、やっぱ客が来なくなる。
利休宗旦の子孫を名乗りながらコンフォートにしなければ、というのは相当難しい命題だったんではないかと思う。