風流開眼

木下桂風/昭森社/1942年。

木下桂風の風流に関するエッセイ集。

豪勢ではないが布張ハードカバーで戦中の本としては紙質もいい立派な本である。41年に紙の配給問題でのらくろが連載停止したのを考えると不思議である。

巻頭言はない。

冒頭のエッセイ「風流心」は

日本人士は潔癖にして純情な性格をもってをる。
朝な夕な、綺麗に掃き浄められた座敷に、悠然と寛いだときの氣持ちには、高貴の方々も微賎の我々も、ひとしく心の安堵を感ずる。

ではじまっていて「皇国の」とか「陛下の御稜威」とかの言はない。
巻頭言入れると、時勢がらそういうのを入れないと当局がうるさかったろうから省いたのではあるまいか。

ちなみにこの文はこう続く。

日々清掃して居室の雰圍気を新たにし、時々入湯して精神を爽快にするときはそこに新たな何物かに生きんとする。聖賢もこの境地をさして「日々新たなり」とか「日々是れ好日」とか「居移氣」とも言ふ。
しかるに世人の多くは、金を使つて遊ぶことが風流であるかの如く誤解してゐる。
譬へて見れば、十一月の末頃、霜を踏みつつ紅葉を狩ることや、二月の寒空に赤い顔をして水洟を欷りつつ探梅などと洒落ることが風流であるかの如くに。

昭森社は、風流で時流に対抗しようとしていたのではなかろうか。
昭森社と木下桂風の静かな戦いである。