庭園入門講座6 庭垣・袖垣・工作物類

原敬二/加島書店/1974年。

庭作りの入門書。専門的過ぎて引用できる部分は少ないのだが、緒言が面白い。

なにせタイトルが「垣は日本人の心のなかにある」だからな。

垣は単なる構造物、工作物であるにはちがいないが日本人である以上はそうした外形にだけとらえられず、その奥にひそんでいるいろいろの意味をかみ分けてこれからさきの庭園にその精神を活かしてゆきたいものである。

もうわからん。

日本ではカキ、中国では垣(その他の漢字)という言葉や文字が諺のなかにも、民俗の生活にもかなり多く現われてくる。これが東洋特有のカキの在り方であり、人の生活のなないカキが深く根をおろしているし、日常のことに溶けこんで来ていると考えてもよい。殊に日本では外敵の防衛にそなえて、カキを作ったということがなく、しかも木竹や土というきわめて脆い材料でつくられていることが特徴であり、次に述べるように垣内という文字に連想されるように、いわば生活上の一つの身内とも考えられて来た。

つまり、外壁でなく、区切りの約束事である、と言いたいみたい。

日本に竹の良いものが多いので鉄や木材を使わずにすむ、軽い気分がそれから生まれて来るが、同時にそれが日本式庭園の精神と一致してくる。
完全に仕切られたものより少しく間のぬけたもの、なかの見えすぎない石や土の特質とは違って永もちがしない。
それは欠点であるというが考えようによっては特徴であり、日本人の気性がここにうかがわれる。新鮮味をたっとぶには永久不変のものでは不適当である。
青竹の色の冴えは永久は続かないが、思うときにはいつでもとりかえてこれが望まれる。
伊勢神宮の木造神殿が二十年ごとに造替になう精神と通うものがあり、この気持は欧米人にはわからない。

そして朽ちやすいのも、それがいいんじゃないか、と。

たぶん、日本庭園とはなにか?西洋のとどう違うのか?を延々考え続けた人が達した境地なんだと思うが…。

たしかにがっちりした恒久的構造物で区切られた日本庭園ってのはありえないか。
でもやわくて脆いのが魅力…って発想はしなかったなぁ。