茶室考12

炉縁の話。

「直導上」に、
「珠光宗悟迄は間半を二ツにして其の一分也、一尺五寸七分半四方是をふり分のいろりと云。紹鴎より一尺四寸にして用る也。古法大にして見て悪きとてつめる也。」

直導上は不詳。

茶道正伝集」東林編に、
「鴎休二居士相談を以、台子風炉の座一尺四寸を畳に移したる寸法を以炉を切りて後、
(略)

大体の伝承が、紹鴎か利休、あるいはその両方が大きかった炉を小さくし現在のサイズにした、とある。

私の感覚では紹鴎後利休前の端境期あたりに炉は切られはじめ、最初から今の大きさ前後が主流だったんじゃないかと思うのだが…。


突然だが日本刀の話をする。

日本刀の名刀は鎌倉時代あたりから伝世している。
これらの多くは「生中茎」でなく「擦り上げ」である。
擦り上げとは、日本刀の手元の部分「中茎」を削り、刀の長さを短縮したものを指す。
なんでこんなことをしたかというと、日本刀の長さには本来規準が無かったのだが、江戸幕府が日本刀の長さに制限を掛けたため、その範囲内に収めるため、泣く泣く刀を削ったのである。

もし紹鴎以前に珠光茶室の大きめの炉縁とかがあったとしたら、茶人は無理矢理詰めたり改造したりして現用サイズに収めたと思う。釜も同じく。大きめの名物釜をどうにかして小さい炉につめようとした筈なのである。

だがそういう伝世品は聞いたことがない。日本刀には死ぬほどあるのに。

だから多分、炉を小さくした、なんて事実はないんじゃなかろうか?