茶室考17

待庵の茶続き。

早い時代に妙喜庵主の内で茶を余り好まない庵主の頃、勝手に隅炉に改めたとする説もあって興味深い。
その後、千家で妙喜庵点なる点茶方法を考案した模様である。

宗鳳の説では、妙喜庵は隅炉ではなかった。
それが改修され、隅炉になった後で千家が隅炉のお点前を考案した、ということらしい。

宗鳳の説を図にするとこんな感じ。

妙喜庵がこういう形式だった時代の千家の伝承がないのは不自然だとも思う。

ただ、この場合は畳の中央に炉を切るので、半畳の炉畳ともう半畳の畳という組合せになって、美しさは半減する。

いっそのことこんな風に台目の道安囲風にした方がすっきりすると思う。

そもそも、待庵の控えの間一畳が、たった一畳しかないのが不自然なのだ。
茶点所ならもっといろんな構成があっていいはずなんだが。
現代の待庵は独立茶室ではないが、もともとはどうだったんだろう。

宗鳳筆録によれば、遠州流では、この点前は客座へうしろを見せて点前をするので、流儀としては大いに嫌事と書いている。

それは私も思っていた。
http://d.hatena.ne.jp/plusminusx3/20080917

元来向切に角炉を切る事は古来から炉の切所としてある事なれど、向切で角炉は、風炉点前の道具くばりから考えると本式の様に見えるが、客が隅を拝見する時も風炉の時の様に一人宛入替つて拝見しなければならず、居ながらに拝見しようとすれば炭取の上を及越にして拝見することになり(略)又すべて道具くばりは客付の方が低く勝手の方が高いのが見通しもよいが、角炉はこれと反対に客付の方に炭取又は水指があって客座より見通しがよくない。

この二畳隅炉批判が宗鳳のものか著者の意見か判然としないが、全く納得の行く話である。