天王寺屋と間取り

ついでに天王寺屋他会記に「間取り」が出てくるのはいつだろうか?

これまた宗達茶会記にはない。
宗及会記はどうか?

天正七年に以下の記述がある。

天正七 卯正月七日朝 於坂本 惟任日向殿會
一 六帖疊敷ニ而、炉 かまなし、 火斗
一 床 八重櫻之大壺あミかけ、口ノヲクレナイ、おほヰ龍之段子、但、松嶋之也、
     三テウシキニテ、
一 炉 八角釜、クサリ、スミトリ オキアワセテ鉄ノ火箸入、

そこからずっとなくて、次はこれ。

天正十一年 同九月十六日 秀吉様御興行 
御座敷兩ヶ所
         人數之事 宮内卿法印 宗易 荒木道薫 もすや宗安 宗及 五人也、
御道具そろヘアリ、
                        見物之衆 池田勝入 藥師徳雲
    四疊半御餝
御床ニ文琳
(略)
書院ノ板ニ
(略)
八疊敷ノ御座敷ニ

んで、これだけなんだな。

この二つの記述はどっちも「途中で場所を変える趣向があった」ことを示すもの。
もしかすると宗及はあんまり茶室自体に興味なかったのかもしれない。