宗湛日記と間取りとか
では時代の下がる宗湛日記ではどうか。
五日朝 一宗傳 御會事
座敷二疊半
冒頭からこうである。天正十四年には、茶室はさまざまでありそれを拝見するのも御馳走になっていたんだと思う。
一大和屋立左 御會事
フカ三疊 四寸イロリ
わざわざ(一尺)四寸の囲炉裏であることを記録している。
これはまだ定寸の囲炉裏が主流派でなかったのを示すんじゃないだろうか?
あるいは筑紫の人間には珍しかったのか。
一尺四寸が利休の作意だとしたら、まだまだ展開しきれていなかったってことなんだろうか?