数寄空間を求めて2

春である。春といえば花。そして花と言えばもちろん桜。
(略)
慶安三年(一六五〇)三月十日、後水尾院の仙洞御所で「御花見」があった。
金閣寺の僧、風林承章の日記『隔蓂記』をもとに、花見の様子を見ることにしよう。

この時代の風流は『隔蓂記』に大きく頼っている気がする。風林承章の遊びっぷりと、遊びの記録っぷりが凄過ぎるのである。

承章は二日前の三月八日、後水尾院から花見の招待を受けていた。その招待も、まことに風流なものである。

八日(中略)、初更自分、仙洞より桜花一朶拝領す。拝見仕るなり、千重の薄色小桜なり、明後十日、院参致すべきのむね、御庭の桜拝見仕るべしとの仰出なり

桜の一枝が招待状である。

粋ですなぇ。こーゆーのが後水尾院の寛永サロンの有り方だったわけか…。

さて花見の当日。
幸なことに天気もよい。
(略)
庭では、桜が満開。
御庭上の桜、花盛りなり、庭上を御供し、拝見す
日が暮れると御酒が出る。

大酒かっ喰らって夜桜まで宴が続くなんて照明はどうしたんだろう?

祖父の正親町天皇の時代には考えられない贅沢っぷりである。

東福門院様々と言えなくもないか…。