数寄空間を求めて6

焼火(たきび)の話。

焼火では薪を焚く。
(略)
御湯殿上の焼火は、置囲炉裏で焚かれた。
『御湯殿上日記』文明十七年(一四八五)正月十日の条に「御たき火のおきゆるり、あたらしくこしらへて」とあり、「おきゆるり」すなわち置囲炉裏を作っている。
床を切って作る炉でなく、床の上に置いて使う。置炉ともいう。
(略)
以上であきらかなように、焼火を囲むのと炉を囲むのは同義だったことに注意しておきたい。

室町期には、外での焚火も屋内での炉も、薪をくべて使うものだった。

考えてみると炭が高度に発達するまでは炉に薪をくべるしかないもんなぁ。

日常では焚火と炉は同じ枠組のものだった。茶の湯の黎明期に炭を手に入れられず、薪で湯を沸かしていた時代があるかもしれない。

炉を使い始めるのが「炉開き」である。炉を開くともいい、開炉とも書く。
現在、一般には茶の用語として使われ、陰暦十月一日または同月の中の亥の日に炉を開くとされている。

実隆の日記から、彼の時代に炉がいつ開かれたか見ることにしよう。次のような記事がある。

大工を召して炉を開かしむ(明応五年・一四九六、十月二日)
番匠を召して炉を開かしむ(永正五年・一五〇八、十月二十日)
今夜中将方炉を開く、一盞張行、祝着(同年十月二十九日)
宰相中将方舗設面を替えしめ、炉を開く(同六年十月十日)
二位局鮎鮓一折を給ふ、今日炉を開く(大永六年・一五二六、十月十一日)

原文にいずれも「開炉」とあるこの五例は、十月ではあるが一日ではない。しかも、最初の十月二日は亥の日だが、あとはいずれも亥の日ではない。
(略)
冬、暖房を必要とする季節が来たので炉を開く、必要からのことであって、いまだ行事に化していない。
日が定まっていないのも当然のようだ。

ナイス研究である。

「亥は五行思想では水を意味し火災避けに」とか、後世いろいろ理屈を付けたのでひっこみが付かなくなったんだろうなぁ。

火災避けなら風炉のシーズンだって必要なのはおんなじだもんねぇ。